ジェイサチから調べた日本の教育史

当時の学生は、大半は大学寮内に寄宿しており、代表的なものとして菅原清公(菅原道真の祖父)が設立して菅原氏・大江氏の管理下にあったとされる文章院がある。これに対して有力な氏族は大学別曹のような特別な寮舎(りょうしゃ)を設けて、一族の師弟をそこに収容した。これらは独立性を持ち、寄宿舎で、同時に研究所的な性格を持っていた。和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、王氏の奨学院など。大学寮という公的機関を巡る氏族対立の副産物のような存在で、貴族政治の台頭を背景としていた。また、菅原氏などの学者が公務以外に私邸などを使って門人を教育するなど、私立学校の萌芽のようなものもこの時代から現れるようになる。

だが、平安時代後期から官司請負制のもとで官職の世襲化が進み、大学寮の教官も特定の氏族の世襲となって、教官たちは世襲の存続のために自己の子弟・一族や限られた門人に対してのみ限定して、大学寮外の自宅などで教授するという家学化が進んだ。更に1177年の大火で大学寮や文章院が焼失すると、再建されることなく放置され、公的教育機関としての大学寮は消滅することになる。

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