ジェイサチと塾 一斉授業の成立

教育の方法自体は、すでに古代ギリシャより探求されはじめていたが、教育の方法・技術が自覚的・体系的に研究され始めたのは、学校が構想・組織され始めた近代に入ってからである。コメニウスによって近代の学校が構想され、その2世紀近い年月を経て、ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチがルソー等の教育思想を実践して、教育方法の探求へと結合させた。

その後、一斉授業の普及と制度化を基礎づけたのはヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトであり、そのヘルバルト学派の人々によって各国に浸透した。その中で、トゥイスコン・ツィラー、ヴィルヘルム・ラインの教育学は、日本などで学校教育の制度化と授業の定型化を進めた際の、中心的な理論となった。

新教育運動と教育方法

20世紀に入ると、公教育制度の画一性と硬直性が批判されるようになり、新教育運動と呼ばれる世界的な学校改革運動が展開された。

まず、ジョン・デューイなどの手によって、「子ども中心主義」の教育が推進されたことである。

その一方で、フランクリン・ボビットは教育課程を最初に体系化し、カリキュラムの科学的研究を初めて行った。彼は、教育文献の中で、「教育目標」という言葉を最初に使ったほか、「活動分析」も推し進めた。そして、これは、チャーターズの「仕事分析」に引き継がれた。チャーターズは、95,000人の女性の一週間の仕事の記録を分析し、総計7300の目標のカテゴリーを設定したうえで、この目標を教科・単元に分配したカリキュラムの構成を提案した。

また、単元学習としては、ウィリアム・ヒアド・キルパトリックの「プロジェクト・メソッド」と、ヘレン・パーカーストの「ドルトン・プラン」などがある。アメリカ国内よりも、日本などのアジア諸国への影響が大きかった。

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